

美しいデザインのビガン大聖堂。手前がカレッサ
PHOTO BY Mamoru Kamono
ビガン歴史都市は、フィリピン、ルソン島の北部にあるビガンの街並みが登録されているユネスコの世界遺産(文化遺産)。16世紀からのスペインによる統治下で商業、貿易の拠点として栄えた。このころ築かれたユニークな街並みは、スペイン、中国、ラテンアメリカの影響を受けているといわれている。マニラやセブにも同様の街並みが存在したが、太平洋戦争時、ビガンの街並みだけは奇跡的に戦渦を逃れた。
この世界遺産は、世界遺産登録基準における「ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。」「人類の歴史上重要な時代を例証する、建築様式、建築物群、技術の集積、または景観の優れた例。」の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
史地区となっているのは、ビガン市内の東側を南北に延びるメナ・クリソロゴ通り。石畳が敷かれた通り沿いには、白壁のコロニアル風建築物が立ち並ぶ。いずれもスペイン統治時代に建てられたもので、バハイナバトと呼ばれる、ビガンの特徴的な建築物だ。
ビガンはスペイン統治以前から国際的な港町として栄えた町でもある。そのため古くから中国やメキシコ、日本などの影響を受けながら独特の文化が築かれてきた。
荘厳な雰囲気が漂うセント・ポール・メトロポリタン大聖堂バハイナバトは1階が石造り、2階が木造の住宅建築で、スペイン人神父が先住民の高床式住宅から発想を得て考案したといわれている。その窓はカピスウインドーと呼ばれる格子の引き戸。中国や日本の影響を受けたもので、格子には障子の代わりにカピス貝という薄い貝殻がはめ込まれている。
これらの建物の多くは、現在もみやげ物店やホテルなどとして使われ、市民の生活の場として生き続けている。度重なる震災や戦火を逃れたこれらの町並みが、「ビガンの歴史地区」として1999年、ユネスコ世界文化遺産に登録された。
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| クリソロゴ家の邸宅を公開するクリソロゴ博物館 | メナ・クリソロゴ通りは石畳を保護するため車が通れない。 代わりに馬車での観光が名物になっている。 |
協力:JTB
この町がどうやって第二次世界大戦の戦火をくぐり抜けたのか?
それは、一人の日本人兵士の家族への愛をなくして語ることはできません。その話をビガン市の市長秘書であるアントニオ・フロレンティノさんからききました。

メナ・クリソロゴ通りのスペイン風建築
PHOTO BY Mamoru Kamono

サン・オーガスチン教会そばの鐘のある建物
PHOTO BY Mamoru Kamono
1943年、ビガンを占領した日本軍の司令官が、家族を連れ立って、ビガンの町に移り住んできました。司令官の名は、タカハシといいました。
彼の家族は妻と娘2人。しかし、戦時下にあって家族連れとはなぜ? 私は疑問に思い、フロレンティノさんにききました。
「おそらく、タカハシはフィリピンに来てから家族をもうけたのでしょう。なぜなら、タカハシの妻の名は、アデラといいましたから。彼女はフィリピン人でした。」
タカハシとアデラの間には2人の娘がいました。2人ともスペイン系の血を引く母親に似て、とても美しい顔立ちだったといいます。
ビガンの人々に対して、タカハシは常に友好的でした。時折、家族で暮らしていた家に町の人々を招待し、家族ぐるみで友情をはぐくんでいたそうです。それだけに町の人々にもタカハシは人気がありました。
しかし、家族と町の人々の平和な関係は長くは続きませんでした。
1945年、戦局が悪化。日本軍は、アメリカ軍の攻撃を受け、ビガンからも撤退しなければならなくなりました。フィリピンで日本軍は撤退するとき、きまって町を焼き払っていきました。ビガンも同じ運命をたどるはずでした・・・。
撤退の前の夜、タカハシは妻と娘たちを連れて、普段から親しくしてきた教会の神父のもとを訪ねました。そして・・・自分は日本のために命を賭けなければならないが、妻と娘たちをビガンの町の人の手で守ってほしいと頼みました。懇願するタカハシに神父は一つの条件を出しました。
「あなたの家族は必ず守ろう。しかし、約束してほしい。美しいビガンの町を決して焼いたりしないことを。」
神父と約束をしたタカハシは、翌日の朝、日本軍と共に町から姿を消しました。
ビガンの空にアメリカ軍の飛行機がやってきました。町の人々は、日本軍がいないことを知らせるために、大きな白旗を掲げ、爆撃を免れました。
タカハシの家族への愛、町の人々との友情がビガンの美しい町並みを今に残したのです。
その後、家族はどうなったか?
ルソン島北部山岳地帯に逃げ込んだタカハシの軍隊は全滅し、タカハシも死にました。妻のアデラと2人の娘は、約束通り、ビガンの人たちの手で守られました。
その後、マニラへと移り住んでからの彼女たちの足取りはフロレンティノさんも知らないそうです。
アジアの世界遺産には、第二次大戦やベトナム戦争の傷跡が残されています。それまで、日本人である自分に後ろめたさを感じていましたが、ビガンの愛の物語を聞いて、少しだけ気持ちが明るくなりました。ビガンでは今も、西洋風の建物が軒を連ね、美しい石畳を馬車が行き交っています。
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