
【フィリピン】Republic of the Philippines
面積:299,404km2
人口:87,857,473人(2005年)
首都:マニラ
元首:グロリア・マカパガル・アロヨ
政体:フィリピンの大統領は、国家元首であり、行政府の長である。大統領と副大統領は、同日に別枠で国民の直接選挙により選出される。任期は6年。
議会は、上院と下院の両院制(二院制)。上院は、24議席で任期6年。3年ごとに半数改選。下院は、憲法上は250議席以下と規定されているが、現在は214議席。20%を政党別の候補者リストから、残りを小選挙区制で選出。任期は3年。次の選挙は、2007年。アロヨ政権は現在の大統領制から議院内閣制へ、両院制議会から一院制へ移行する憲法改正を行う予定。
民族構成:住民は、マレー系が大部分(全体の90%程度)であるが、過去数百年で中国系やスペイン人との混血が進み、混血率は高い。地域によって混血率は違い、スペイン統治時代に重要な軍港であった地域、特にサンボアンガでは、スペイン人との混血率が高い。その他、山岳地帯のネグリト、ボントック、イフガオ、ミンダナオ島などの南部在住のモロ(イスラム教徒)などがいる。
言語:国語はフィリピン語、公用語はフィリピン語と英語であるが、母語として使われる言語は、合計172に及ぶ。これらは、すべてアウストロネシア語族に分類されるが、ほとんど意志の疎通が図れないほどの違いがある。他に使われる言語語には中国語(北京語や福建語)、スペイン植民地の歴史を反映して チャバカノ語(スペイン語とそのクレオール言語)、イスラム教徒の間で使われるアラビア語がある。
多様な民族とカトリシズム フィリピン諸島で最も古い民族は25000~30000年前に移住してきたネグリト族。次に新石器文化を持った原始マレー。この後が、棚田水田農耕を持った古マレー。そして紀元前500年~紀元13世紀の間に移住してきたマレー系民族である。スペイン人来航直前の頃は中国や東南アジアとの交易で栄えイスラム教が広まったが、7000を超える諸島であるフィリピンでは統一した国家は形成されていなかった。1521年、セブ島にマガリャンイス(マゼラン)がヨーロッパ人として初めてフィリピンに到達した。マゼランはこのとき、マクタン島の首長ラプラプに攻撃され戦死した。やがてスペインなどの航海者が来航するようになり、1565年にはスペイン領ヌエバ・エスパーニャ副王領(メキシコ)を出航したミゲル・ロペス・デ・レガスピがセブ島を征服したのを皮切りに、徐々に植民地の範囲を広げ、1571年にはマニラ市を含む諸島の大部分が征服され、スペインの領土となった。しかし南部のミンダナオ島、スールー諸島、パラワン島では、イスラム勢力の抵抗に遭い、最後まで征服できなかった。
ヌエバ・エスパーニャの一部となったスペイン植民地時代にローマ・カトリックへの改宗が進み、領民を労役に使う大地主たちが地位を確立し、民衆の多くはその労働者となった。支配者であるスペインに対する反抗は幾度となく繰り返されたが、いずれも規模の小さな局地的なものであり容易に鎮圧されてしまった。独立運動が本格的になるのは、19世紀末、フィリピン独立の父とされるホセ・リサールの活躍によるところが大きい。1898年、米西戦争勃発により、アメリカ合衆国はエミリオ・アギナルドらの独立運動を利用するため支援(しかし、実際は後に判明するように、アメリカがスペインからフィリピンを奪って自国の植民地にすることが目的だった)。6月12日、独立宣言がなされる。
米西戦争で独立を果たしたのもつかの間、1899年のパリ条約によりアメリカの統治および植民地化が始まる。アメリカによる植民地化にフィリピンは猛烈に抵抗したが、米比戦争で60万人のフィリピン人が無残に虐殺され、抵抗が鎮圧される。その後フィリピン議会議員M・ケソンの尽力で、米国議会は1916年ジョーンズ法でフィリピンに自治を認めた。1934年米国議会はタイディングス・マクダフィー法で十年後の完全独立を認め、フィリピン議会もこれを承諾しフィリピン自治領に移行した。
しかし、第二次世界大戦中に日本が侵攻して激しい戦闘の末、日本軍が占領、1943年にラウレルを大統領として独立(第二共和国)。この戦争によって、マニラに20棟あった16世紀17世紀に作られたバロック様式の教会は2つを残して破壊され、当時、東洋で最も美しいといわれたヨーロッパ調の町並みは荒廃した。 1945年の日本敗戦に伴い米領に復帰。1946年、独立(第三共和国)。マルコス政権が長く続いたが、民衆の不満がありマルコス政権は崩壊した。
戦後、日本と同様極東アジアにおけるアメリカの重要な拠点であり米軍に基地を提供したが、米軍のアジア駐留軍縮小およびピナトゥボ火山の噴火にともなう基地機能の低下により、米軍はフィリピンから撤退した。毎年、多くのフィリピン人が渡米するなど親米国家である。
アメリカ合衆国による植民地政策では農業政策が失敗し、スペイン時代のプランテーション農業に基づく地主と小作人の関係が現在も続いている。この地主は全国に数十人おり、彼らの家族が国土の半分以上の土地を所有している。農村部では半数以上が一日1ドル以下の生活をする最貧困層である。これが南部イスラム地域では75パーセント以上が最貧困層である。
資源に乏しく、農業、軽工業、サービス、セブ島やボラカイ島などリゾートを中心とした観光業が主要な産業であるため、石油価格の変動を受けにくく、近年は外資の直接投資も増え始め経済通貨は比較的安定してきている。90年代のアジア通貨危機でもフィリピンはIMFの管理下にならなかった。フィリピンの経常収支は800万人に及ぶ海外在住労働者の送金によって支えられているといっても過言ではない。主要な貿易相手国はアメリカと日本である。1998年のアジア通貨危機のあおりを受けてペソ暴落に見舞われたが、経済がバブル状態ではなかったので、タイ、インドネシア、大韓民国に比べると回復は早かった。南部イスラム勢力との和解成立後、ミンダナオ島にもアメリカなどからの直接投資が入り始めている。

東京メトロ日比谷線六本木駅A3出口から徒歩1分と駅からとても近い場所にある「KAINAN」をご紹介します。 店名の“KAINAN”の意味は、タガログ語で「食事をする場所」という意味。プロシンガーの歌を聴きながら、落ち着いた空間での食事が楽しめるお店です。
写真のメニューは、
左:ADOBO MIX 豚肉と鶏肉のマリネード煮 (¥1,300)
中央:SINIGANG NA BABOY 豚バラ肉のタマリンドスープ (¥1,300)
右:HALO-HALO フィリピンのかき氷 (¥950)
本格的なフィリピン料理を日本にいながら味わってみてはいかがでしょうか。
パーティーメニューもそろっているのでぜひ足を運んでみてくださいね!
厚生労働省の「夫妻の国籍別にみた婚姻」によると、平成17年には妻がフィリピン人である人は約3割いました。夫がフィリピン人である割合も年々増えているようです。
そこで今回は、フィリピン人の夫を持ち、現地に在住している方が管理しているサイト「フィリピンで幸せ☆快適生活」のご協力の下、フィリピンでの生活をご紹介します。
フィリピンの家ってどんな感じだろう???


一番多いタイプのフィリピンの家は、タウンハウスです。
狭い土地にできるだけ多くの家を建てたいと思ったら、そうなる訳ですね。
上のように何軒も連なっているのがタウンハウスで、借家を探していると、このタイプの家が多いです。
ですが、一般的に外国人はある程度セキュリティーの厳しいビレッジと呼ばれる住宅街の一軒家に住んでいます。
ビレッジの入り口には、左の写真のようなゲートがあり、ガードさんが待ち構えています。
関係のない人は入れないようになっていて、居住者以外はガートさんに身分証明を渡し、それと引き換えにカードを貰って中に入ります。
(居住者は車に専用のシールが貼ってあるので直ぐにわかり、勿論IDを渡さずにそのまま入れるのです。)
セキュリティーが厳しいビレッジでは、メイドさんがビレッジの外に出るのにも、雇い主の外出許可書を必要とします。
私が住んでいるビレッジでは、その他にビレッジ内の誰に用があるのかも聞かれ、ガードさんは来客者をビレッジ内に入れる前に家まで電話をくれ、「こういう人が来ていますが、入れても宜しいですか?」と連絡をくれるので非常に安心です。
ガードさんは交代制で常に夜間も数人態勢で警備にあたってくれ、ビレッジ内に不審な人物がいないか巡回もしてくれます。



日本人が多く住んでいるのは、フィリピン一番のビジネス街であるマニラ首都圏内のマカティ市にある高級ビレッジや、国際空港があるパラニャーケ市の高級ビレッジなどが多いです。
私も、空港から20分ほどのパランニャケ市内にあるビレッジに住んでいますが、緑も多いですし、車で15分くらいの範囲内に巨大ショッピングモールが3箇所もありますし、学校も幼稚園から大学まで数多くありますので、とっても暮らしやすいんです。
ビレッジ内に住んでいると、大通りの車の喧騒などは一切聞こえてきませんし、聞こえるのは鳥の声くらいです。
私が住んでいるのは小さなビレッジなので、子供を遊ばせるにしても、ビレッジ内ですと車もほとんど通らないし、ビレッジ内が“大きな自分の庭”みたいな感覚なので、親としても安心なんです。
それに、ビレッジ内にはプールやアスレチック、クラブハウスなどの設備もあります。
そのクラブハウスで、私たちも親戚を大勢招待して子供の誕生日パーティーをしたり、今の家の新築祝いパーティー、そして息子の洗礼パーティー(カトリック教徒の洗礼を教会で受け、その後の披露宴のようなものです)を開いたりしました。
そうそう、自分たちで大きなパーティーを開きたかったら、フィリピンにはケータリングサービスというのが盛んで、パーティー用のご馳走を指定の場所まで届けてくれるんです。
料金には、パーティー用のテーブルセッティング(キャンドルやバラの花など)やよくホテルのバイキングで見かけるようなステンレス製の料理の入れ物や、料理を取り分けたり飲み物をサービスしてくれるウェイター数人なども含まれていますよ。
他にオプションとして、プロの司会者やマジシャン、ピエロやスピーカーとマイクのセットや、アイスクリームスタンドなども手配してもらえます。
そしてなんと、隣の空き地にあるマンゴーの大木には、毎年10月頃になるとほたるがいっぱい見えるんですよ。(フィリピンのほたるは水ではなくて土の中で幼虫期間を過ごすそうです。)たまに、家の中まで迷い込んできたりしました。
“外国人はフィリピンの家や土地を買えない”という話が有名になっていますが、実は買えるんですよ。
ただし、配偶者がフィリピン人の場合です。
土地の権利書には、“日本人のxxxさんと結婚しているxxxさん(フィリピン人の配偶者名)”という名義名になるんですが、これで十分共同名義になっているそうです。
フィリピンは、湿気が多い為に、築数年でもかなり痛んでいる家が多いのです。
中古の家を買う、或いは借りる際には、住める状態になるまでにいくら位修理代がかかるのかも計算に入れておくと良いと思います。
また、気をつけておいた方が良いのが、洪水です。
フィリピンは下水施設がきちんと整備されていないので、ちょっとしたスコールでもか直ぐに水が溜まってしまい、家の外に出られなくなったり、酷いところでは床上浸水したりするのです。
洪水になりやすい地域かどうかは、事前に聞いておいた方が良いでしょう。
下水施設に不備がある地域や、単に土地が低い場所などは浸水しやすいので、後々大変なことになってしまいます。
また、家の付近は心配なくても、近くに浸水しやすい場所があると、外出先から暫く帰れなくなることも考えられます。
しっかりと事前に調べておきたいですね。