
ルンビニは釈尊生誕の地として世界に広く知られており、古来より仏教徒にとって4大聖地のひとつとして巡礼者を集めています。
紀元前249年にはインドのマウリヤ朝のアショーカ王が石柱を建立し、中国の僧・法顕は5世紀の初旬にこの地を訪れています。14世紀にイスラム教徒により仏教建築は著しく破壊され廃墟となりました。
その後、長い間忘れられていたルンビニは、近年になり発掘がすすみ、考古学者や観光客の注目を集めています。ルンビニは観光地としてだけでなく、歴史的に貴重な土地であり、遺跡の保存が大きな課題となっています。
ルンビニの周りには今でも伝統的な暮らしを続けているのどかな村があります。どこまでも続く緑の中でゆっくりと過ごすことが出来るでしょう。

アシューカ石柱
Photo by:Road to Buddha
1896年にドイツ人の考古学者フューラーによって発見されました。紀元前249年にマウリヤ王朝のアショーカ王がこの地を訪れたときには、ルンビニは大きな村だったといわれています。 ここで見つかったアショーカ石柱には、神々に愛でられしアショーカ王が即位20年の年にこの地を訪れ石柱を立てた旨と、釈尊の生誕地であるこの村は免税され、8分の1のみの納税で許される旨が刻まれています。当時は4本の石柱が立てられ、その柱頭には馬像があったと言われていますがその馬像は見つかっていません。玄奘三蔵もこの地を訪れており、この柱に雷が落ち3つに折れたと記録しています。

マヤ夫人石像
Photo by:Road to Buddha
1899年にマーヤー聖堂跡から発掘された釈尊の生誕を描いた石像です。現在ある彫像は破壊された古い像を新しく模造したもので、仮のお堂に安置されています。
この像は釈尊生誕の瞬間をあらわしたもので、右からマーヤー夫人、養母マハーパジャーパティー、釈尊、梵天、帝釈天が彫られています。
子供がいない女性達が子供を授かるようにとお参りします。

プスカリニ池
Photo by:Road to Buddha
マーヤー夫人が出産の前に沐浴し、釈尊の産湯にも使われたといわれる池です。現在見られる池の堤は1939年に造られたものです。池のほとりには大きな菩提樹があります。


釈尊は、釈迦族の父シュッドーダナ王の故郷であるカピラヴァストゥと、生母マーヤー夫人の故郷の中間に位置するルンビニーの地で誕生しました。マーヤー夫人は、白象が胎内に宿る夢を見て、懐妊。出産のための里帰りの途中で産気づき、ルンビニーの地の四角い泉のあるところで釈尊を生んだと伝えられています。
ルンビニーは、現在のネパールの南西部のタライ平原にあり、インドとほぼ、国境を接しています。
仏教が盛んになるに従って、ルンビニーは仏教の四大聖地のひとつに数えられ、多くの巡礼者が訪れるようになりました。
中国からは403年に法顕[ほっけん]が、636年に玄奘[げんじょう]が、この地やカピラヴァストゥを訪れたという記録を残しています。しかし、インドで仏教が衰えた13世紀以降、ルンビニーの地は長らく忘れられてしまいます。
その後数百年を経た1896年、ドイツの考古学者A.A.フューラーにより、釈尊の生誕地を記念するアショーカ王の石柱が発見され、釈尊の生誕地ルンビニーが再び明らかになりました。
現在のルンビニーには、マーヤー夫人聖堂を中心に、アショーカ王が巡礼した時に建立した石柱や、釈迦が産湯をつかったという池(プスカリニ池)などが残っており、世界から巡礼者が訪れています(1997年にユネスコの世界遺産に登録)。また、釈尊の生誕の地を国内に抱えていることは、ネパールの仏教徒の大きな誇りとなっています。
ネパールには、ルンビニーの他に、釈尊が29歳で出家するまでの間を過ごしたカピラヴァストゥの宮殿跡の候補地となっているティラウラコットの遺跡もあります。(もうひとつの有力候補地は、インドのピパラハウで、最終的な結論は出ていません。)
釈尊は悟りを開いてより6年後、父王の招請に応じてカピラヴァストゥに帰郷し、父王や長男ラーフラと対面を果たし、一族に説法しました。そして、この時に多くの釈迦族の若者が出家したと伝えられています。