
寺院群のうち中心的存在であるプラバナン寺院は古マタラム王国のバリトゥン王(在位898年~910年)による建設と言われる。古マタラムの王宮もこのあたりにあったと考えられているが、伝染病が流行り10世紀ごろ遷都した。のちの1549年の地震で遺跡が大破した。しばらく忘れ去られていたが、1937年から遺産の修復作業が行われている。プランバナン寺院群はヒンドゥー教の遺跡としてはインドネシア最大級で、仏教遺跡のボロブドゥール寺院遺跡群と共にジャワの建築の最高傑作の一つとされる。
2006年5月27日に発生したジャワ島中部地震で大きな損害を受けた。
この世界遺産は、世界遺産登録基準における「人類の創造的才能を表現する傑作。」「人類の歴史上重要な時代を例証する、建築様式、建築物群、技術の集積、または景観の優れた例。」の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
出典:フリー百科辞典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この世界遺産は、世界遺産登録基準における「人類の創造的才能を表現する傑作。」「人類の歴史上重要な時代を例証する、建築様式、建築物群、技術の集積、または景観の優れた例。」の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
ジャワ島にあるヒンドゥー教寺院の遺跡郡、プランバナン。ボロブドゥール遺跡と共に、インドネシアを代表する遺跡です。
今回は、インドネシア史サイト『インドネシア歴史探訪』を管理し、1998年にインドネシア・ジャカルタ駐在員としてジャカルタに飛び立った早崎隆志さんのご協力を頂いて、ボロブドゥールについてご紹介します。

プランバナン遺跡のシヴァ神殿
「ロロ・ジョングラン」
中でも名高い建築は、856年にサンジャヤ朝のピカタン王によって建造されたシヴァ神殿「ロロ・ジョングラン」。
外苑、中苑、内苑の三重構造だったが、現在残るのは中苑と内苑のみ。主堂はシヴァ神をまつるシヴァ堂で、高さ47m、ピラミッド型の塔をもち、回廊の欄楯(らんじゅん)壁面には「ラーマーヤナ」を題材にした浮彫がほどこされている。
1937年に修復工事が始まり、シヴァ神殿以外は現在も続行中。寺院群は1991年、世界文化遺産に登録。
〔場所〕ジョクジャカルタ市の東方17km(車で約20分)
〔時代〕9世紀後半~10世紀初頭 (856~c.900)
〔建造者〕サンジャヤ朝
〔属する宗教〕ヒンドゥー教シヴァ信仰
〔主な構造〕石造寺院の集合体で、無数の小祠堂(ペルラワ)とリンガに取り囲まれている。
〔語源〕「Para(たくさんの)」+「Brahmana(僧侶)」 → 「プランバナン」と言われる。

周囲の未再建寺院群
1. カラサン寺院……プランバナンの西南西2kmにある仏教寺院で、出土した「カラサン碑文」によると、この寺院は、そもそも778年、ヒンドゥー教国サンジャヤ朝の国王が、仏教国シャイレーンドラ朝の王女と結婚したことを祝って建てられたらしい。
当時はシャイレーンドラ朝が仏教寺院群ボロブドゥールを建てようとしていた頃 (ボロブドゥールの建設は主に780~792年) に当たり、勢いの強かったシャイレーンドラ朝に従属せざるを得なかったサンジャヤ朝の状況を示しているように思われる。
シャイレーンドラ朝没落(9世紀前半)後、改築が重ねられ、現在の形になったのは9世紀半ばと言われる。
2. プラオサン寺院……プランバナンの北東2kmにある。その壮大さや作風がシヴァ神殿「ロロ・ジョングラン」と似ていることから、プランバナン寺院群と同時期に建てられたと言われるが、こちらは仏教寺院である。
設立時はセウ寺院同様、広大な境内が無数の仏堂で埋め尽くされていた。南北二つの寺院群に分かれ、北では116棟の小祠堂(ペルラワ)と236基のストゥーパ(仏塔)、南では16棟のペルラワと69基のストゥーパが、それぞれ寺院を囲んでいる。
建設されたのは一群のプランバナン周辺寺院群では最も遅く、ラカイ・ピカタン王 (位838?-c.851?) とその妃プラーモーダヴァルダニーによって9世紀中頃に造営。
3. セウ寺院……プランバナンの北西1.5kmにある広大な仏教寺院群。「セウ」とは「千」の意で、「千仏寺」と呼ばれることもある。1000には満たないにしても、かつては240棟に及ぶ小祠堂(ペルラワ)が、この寺院群の周囲を埋め尽くしていた。
ボロブドゥールと同じ8世紀終わり~9世紀初めに建てられたと考えられている。
4. サリ寺院……カラサン寺院の北北東1kmに位置する仏教寺院。「サリ(美しい)」の名前の通り、優美な70の浮彫に彩られている。建立はおそらく9世紀前半で、20世紀初頭オランダ政府が修復。
5. ボコ宮殿……プランバナン遺跡の南1kmに面した丘の上の遺跡。伝説ではボコ(バカ)王の宮殿跡ということになるが、仏教とシヴァ教が混交した修道僧の住居跡という説もある。
これらプランバナン周辺の寺院は、すべてシャイレーンドラ朝によって建てられた仏教寺院である。
その建設の時期は8世紀後半~9世紀前半であり、ボロブドゥールの工事期間とほぼ一致する。
9世紀中頃プラオサン寺院を最後に、プランバナン地方に於けるシャイレーンドラ朝による仏教寺院群の建設は終わり、次いで勢力を伸ばしたサンジャヤ朝によるヒンドゥー教大寺院の構築となったわけである。
なお、ジャワでは寺院遺跡を「チャンディ」と呼ぶ。
この「チャンディ(candi)」は普通「寺院」と訳されるが、本来は「お墓」という意味である。ジャワ人はこれらの仏教遺跡を昔のお墓と考えていたが、考古学調査が進むに連れ、必ずしも墓地や霊廟でなく、礼拝所や学問所、宮殿などであった可能性も出てきたので、「チャンディ」という言葉の意味自体が変質し、「石造宗教建築物」を示すようになった、というわけである。
プランバナンへ向かう。
すでに行きに道路端からわずかに姿を垣間見たロロ・ジョングランは、車から降りると目の前にそびえ立っていた。
まず周囲を回る。広大な敷地には、まだ復元されていない無数の石材が雑然と積まれ、むしろその方に驚く。復元された寺院などごく一部で、まだ作られていない建物の方が圧倒的に多い。この周辺に建てられていた寺院の数は、確か224だという。膨大な数で、全部復元されたらさぞかし壮観な眺めだろう。
あれが仏教寺院ではなくヒンドゥー神殿であることは、たくさんある小さな塔から分かるという。仏塔の場合あれはストゥーパで、蓮台の上にはご飯を伏せたお椀の形が置いてあり(縦の筋はない)、その上にお袈裟を折り畳んだ座布団風の四角があり、その上に箸を立てたような塔がそびえる。ところが向こうに見えるのは、蓮台の上には蓮の花びらがかぶさり(だからお椀方の表面には縦の筋が幾筋も流れる)、その上にそびえ立つのはシヴァ神のリンガだ。

ロロ・ジョングランからの光景
一周終えて、いよいよ中央の大神殿、「ロロ・ジョングラン」としても知られる華麗なシヴァ堂に入る。地面に近い鬼神面マカラーを過ぎ、入り口の上に大きく口を開けた鬼神カーラの口の中に入ってゆく。
中に安置されているシヴァ像もさることながら、降りようと思って振り返って見た光景もなかなか素晴らしい。遠近に繰り広げられる石材建築は、まるで石のバレー。しかもその裏側(つまり表からは見えない場所)にも細密な浮き彫りが施してある。ガイドブックの写真などではお目に掛かれない光景で、迫力と実感に満ちている。
ガイドさんに従い、途中まで階段を下り、右に折れて回廊に入る。ここにはラーマーヤナ譚のレリーフがある。また背後を振り返った光景も面白い。各側室の導師アガスティア(南)、息子で象神ガネーシャ(西)、妻ドゥルガ(北)の各像も見て回った。
次いで自由に周囲の神殿を歩いて回る。シヴァ神殿の左右にはブラフマーとヴィシュヌの神殿がある。その手前には、それぞれの乗り物を祭った中位の神殿がある。シヴァ神の乗り物、神牛ナンディーの神殿に登り、そのリアルな牛の像を見て降りてくる。
(1998年7月5日記)
インドネシア歴史探訪のご紹介
いざジャカルタに行くという時に、インドネシアに関する知識が無かったという早崎さん。調べようとしても、インドネシア史の基本的な流れが書かれている情報源がなかったという。今までになかったインドネシア史に関する情報を集めたサイトを自ら作ろうと考え、少ない情報をかき集めて現在のサイト作りに精を出されたそうです。
「インドネシア史の基本的な骨組みを示す」を目標に作った現在のサイトでは、ボロブドゥールなどの観光地はもちろんのこと、インドネシア共和国の成立や宗教、日本との関わりなど、歴史という観点を含んだとても深い情報サイトとなっています。
観光雑誌だけでは知りえないインドネシアについて多く記載されていますので、ぜひ一度ご覧下さい。
協力:インドネシア歴史探訪