

ヴァラナシの夜明け
リー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ガンガー(ガンジス川)沿いに位置する都市。この街の近くで、ヴァルナー川とアシー川がガンガーに注ぐ。ワーラーナシーという街の呼称は、「ヴァルナーとアシーに挟まれた街」から由来するという見解が有力である。絹のサリー生産が代表的産業。近隣の都市としては、約50キロ南西のミルザープル、120キロ西のイラーハーバードなどが挙げられる。街の郊外には、釈迦が初めて説法を行ったサールナート(鹿野苑)がある。
インドの叙事詩『マハーバーラタ』にもその存在は記されている。前6世紀から5世紀頃、この地にあったカーシー国の首都として栄えた。その後、コーサラ国、マガダ国などに支配された。前4世紀、インド初の統一王朝となるマウリヤ朝が成立するとその支配下におかれ、以後も歴代王朝に支配された。ラージプート時代の混乱が続く中、ワーラーナシーはイスラーム勢力に征服されることになった。まず12世紀末、アフガーニスターンのゴール朝に征服された。その後のデリー・スルタン朝時代においても、トゥグルク朝やロディー朝による破壊を受けた。
16世紀に成立したムガル帝国のもとでは、3代皇帝アクバルが宗教寛容策を採ったことで知られるように、イスラーム教徒、ヒンドゥー教徒の共存が図られたため、ベナレスの再建が進んだ。しかし、17世紀に厳格なスンナ派である6代皇帝アウラングゼーブが即位すると、再び聖像崇拝禁止の方針がとられ、街の多くの宗教施設が破壊された。そのため、現存している建物の多くは、18世紀以降に建てられたものである。
1725年にムガル皇帝に徴税権を認められたマナサ・ラーム(ヒンドゥー教徒)のもとで、徐々に街の復興が進んでいき、息子のバルワン・シンはワーラーナシー藩王国を建てた。しかし、18世紀後半よりイギリス東インド会社の進出が本格化し、イギリスの統治下におかれた。ベナレスという呼称は、このイギリス統治時代のものである。
ワーラーナシーのガンガー近くで死んだものは、涅槃(ニルヴァーナ)へ導かれると考えられている。そのため、この地でひたすら死を待つ人々もいる。マニカルニカー(「宝石の耳飾り」の意)・ガートは、南北6㎞のガンジスの岸辺のほぼ中央に位置し、火葬場としての役割を果たしており、死者はここでガンガーに浸されたのちにガートで荼毘に付され、遺灰はガンガーへ流される。金が無い人、赤ん坊、妊婦、蛇に噛まれて死んだ人はそのまま流される。町にはハリーシュチャンドラと呼ばれる、もう一つの火葬場があり、二つの火葬場は同じ一族が取り仕切っており、働く人々も共通であり、交代勤務で働いている。ワーラーナシーは別名「大いなる火葬場」とも呼ばれており、年中煙の絶えることはない。

varanasi ガンジス川での沐浴風景
photo by:tetsuyuki shibata
沐は水を頭から浴びること、浴は水に身体を浸けることを意味する。したがって、沐浴を行う時に使用する媒体としては、水・湯が一般的。それ以外にも煙・火・香料などにより穢を落とすことも沐浴に含める。
沐浴を行うことの宗教上の意義は主に以下の3つが挙げられる。
•沐浴により、聖なる物に触れる前や空間に入る前に、身体的・宗教的な穢(けがれ)を落とすこと。
• 沐浴により、俗から清へ、生から死へなど、ある状態から別の状態への移行を促進する。
• 川・海・泉など、聖なる場所に身体を置くこと(沐浴すること)で、穢を取り除く。
ヒンドゥー教では、沐浴を行うことで、罪を流し功徳を増すと信じられている。ヒンドゥー教徒の多くは1日の始まりに、寺院の貯水池や川で沐浴を行う。
また多くの聖地が集積するガンジス川での沐浴の光景はつとに有名である。
イスラム教では、沐浴をグスルと呼ぶ。男女を問わず精液の出た後、出産後、巡礼の衣を着用する前などに行うことが義務付けられている。グスルのやりかたは、その方法がイスラムの法典により細かく定められている。
日本においては、神社の前にある手洗い場での行う、手洗いや口すすぎのも沐浴の一種と考えられる。
日本に仏教が伝来すると、各地に寺が建立された。寺には沐浴の施設として温堂や浴堂が建築された。しかし、次第に仏教の温浴が宗教上の沐浴から切り離されて、入浴という風習につながった。

船着場
バラナシ観光のハイライトといえばガンガーのガート見物。まずは舟着場から小舟に乗り込みます。この時まだ夜は明けておらず、眠い目をこすりながらの乗船です。

ろうそく
舟に乗るにあたり、観光客はみな花を型どったろうそくを買います(1ルピー)。少し沖に進んだら精霊流しの要領でこれを川に流します。死者の霊を鎮めるためなのでしょうか。
朝日
ようやく夜が明けてきました。ところで対岸(東側)は「汚れた地」ということで何もないため、朝陽は見事に地平線から昇ります。感慨とともに神々しさを感じる瞬間です。


洗濯屋
聖地ガンガーは彼らにとっては仕事場でもあります。「汚いものに触れている」という理由で、彼らのカーストはとても低いのだそうです。ホテルのシーツやタオルもこうして洗われます。どうりでベタついていたわけだ。

ガート
ガンガーの西岸、長さ数kmにわたってガートと呼ばれる沐浴場が連なっています。人々は着衣のまま茶色く濁った川に身を沈め、あらゆる病を治すと信じられている水を口に含みます。インド各地から年間100万人を超えてここに集まるヒンドゥー教徒の最大の願いは、死してガンガーに流されること。そのためガートの近くでは死を待つ老人の姿をよく見かけます。


僧侶の傘
日の出を待っていたかのようにガートにポツポツと傘が開いていきます。これらはみなヒンドゥー教の僧侶。営業開始というわけです。それにしてもさすが聖地、坊さんの数だけでも大変なものです。


クミコハウス
日本人バックパッカーの間では知らない者はいないというほど有名なペンション。久美子さんという日本人女性が経営しています。いろいろな本で取り上げられ、今やフリー旅行者のメッカとなっています。と聞いたパック旅行者にとっては観光名所となっています。
傾いている!
辺の寺院らしき建造物。でも、ちょっと待て、何かがおかしい。ねえ、これ傾いてない?傾いてるよねえ。目を凝らして見ましたが間違いありません。地盤沈下か、建築ミスか、それとも大地震でもあったのか。インドっぽいといえばインドっぽいんだけど。

お土産屋
ハローフレンド、コレシェンエン(千円)ネ。ヤスイヨ。目ざとい土産物屋がこれだけの観光客を見逃すはずがありません。さっそく品物を積んだ小舟で乗りつけてきました。

火葬場
きらびやかな布に包まれた遺体がガートの特別な一角に運び込まれ、公衆の面前で火が放たれます。遺灰はすべてガンガーへ。ヒンドゥー教徒にとって人生最後の希望です。

インド人も寒い
ヒンドゥー教徒にとって毎朝の沐浴は宗教上の義務。さすがインド人と思っていましたが、やはり彼らも人並みには寒いようです。なあんだ、安心した。でも水は飲みたくないな。

Takeo Takahashi

旅ノート Indiia Varanasi
ついに、目的地、バラナシに着いた。ヒンドゥー教の聖地であるこの街は、いったいどんな姿をしているのだろう。ガンガーに沐浴し、頭を垂れ、祈り、身を清める人びと。ガイドブックでは知っている。その姿を今、この目で見ようとしている。俺の胸は、次第に高鳴り始めた。国内線を出た俺は、市街地に向けて、歩き始めた。(インド旅行記・第三章:「ついに、目的地、バラナシへ。しかし・・・」ラスト)
バラナシに着いた俺は、まず2日間滞在するゲストハウスを探さなければならなかった。大きいバックパックをかかえた日本人がひとり、さまようように町を歩いている。これ、すなわち、「ボク、ゲストハウス探してます」と言っているようなもの。次から次へと、インド人の少年が声をかけてくる。彼らは、旅行者をゲストハウスに連れていくと、数パーセントのマージンがもらえるのだ。自分の力だけで時間をかけてゲストハウスを探します、という人は別だけど、少年について行って自分に合ったゲストハウスを探すというのもひとつの手だと思う。行ってみて気に入らなければ他をあたればいいわけだし、彼らは必ず他のゲストハウスも知っているからだ。
俺はひとりの少年のあとについていった。彼は、ガンジス河沿いの静かなゲストハウスを紹介してくれた。部屋を確かめてみると、窓からガンジス河が見えるし、全体的に清潔だし、滞在者に日本人は少なそうだし、まあいいかなあと思いそこに決めることにした。他を探すのはもう面倒だしねえ。俺は少年にお礼を言って、フロントでチェックインをすませてから部屋に入り、ベッドの上にバックパックをどっかと置いた。そして「さあ、いよいよバラナシをこの目で確かめるときがきた」そう心の中でつぶやいた。必要なものだけを小さなバックに入れ込み、すぐに町に出た。
とにかく俺は、ガンジス河を早くこの目で見たかったのだ。
俺はガート(沐浴するところ)の中でもとくに人が多いらしいダシャーシュワメード・ガートを目指した。ヒンドゥーの信仰によれば、ガンジス河で沐浴すれば、すべての罪は浄められ、遺灰がガンジス河に流されれば、輪廻からの解脱を得るという。とくに篤い信仰をもたない俺にとって、ガンジス河で沐浴する人びとがどのようにこの目に映るのか・・・。そんな思いを胸に歩き続け、ついに目的のガートに辿り着いた。
沐浴する姿をはじめてこの目で見て、どう思ったか。それをひと言で言わせてもらう。
まっすぐに向きあっている。

神様はどこにいるのですか?

路地

インドで俺も考えた
今回のインドの旅は、はっきり言って、インドを回るには非常に短い5日間だった。でも、行ってみて思ったけど、まあいうてもバラナシだけやけど、短ければ満足度が低いのかというとそうでもない。時間が少ない、ということが前提にあるから、24時間インド受け入れ態勢でのぞめたし、常に何かを吸収しようという心構えがあったから、のんびり旅とはまた違った、短いなりにもインドの素顔というものをほんの少しだけでも垣間見ることができたんじゃないかなあと思っている。インドを長年旅している人にはバカにされると思うけどねえ。
でも事実、俺は充実した。見るもの聞くもの触るもの、すべてが俺にとって新しく、不思議で、ちょっと危険で、魅力的で、雄大で、神秘的で、未知で、複雑で、混沌として、つまり人間的だった。
インドでは、歩けば人か牛にあたった。人にあたれば金を求められ、牛にあたればうんこがついた。地面はくそまみれだった。衛生状態は半端じゃないほどひどかった。でもあれが、インドのひとつの現実なんだと思った。すてきなサリーを身にまとい、颯爽と町をゆくレディもいれば、薄汚い格好で、人に金を求め歩くしかすべのない人間もいる。
でもガンジス河は、そんなすべての人を平等に受け入れていた。すべての人が平等に、沐浴し、身を清める。歯を磨けば、頭も洗う。洗濯もする。死体も沈める。灰も流す。人々の、まさに動脈なんだと感じた。ガンジス河なくては、生きていけない。ガンジス河にはじまり、ガンジス河におわる。ガンジス河はやがて、海に流れ、天に昇り、雨となって、また人々のもとへかえる。この繰り返し。この流転をつかさどるのが、聖なる河、ガンジス。
食べて、くそして、寝て、起きて、笑って、泣いて、怒って、愛して、ねたんで、悩んで、傷つけ、傷つけられ、祈り、病気し、最後に死ぬ。インドには、そんな人間の姿が、原型のまま、そこにあった。よくインドへ行った人は、インドを好きになるか嫌いになるか、そのどちらかだと言う。それはたぶん、そんな人間本来の姿を見るのがしんどい人と、本来の姿に戻りたい人、その差なんだと思った。
俺にとってバラナシはいいところだった。(インド旅行記・あとがき)